はこりむ

げーむといらすとのかりすまうぇぶさいと

AIR

↓↓↓以下、ネタバレ含みます。↓↓↓












泣きはしませんでしたが

充分良作だと思います。とくにAIR編に入ってからの読ませ方はすさまじいものがあり、ぐいぐいとプレイヤーを引っ張っていってくれます。いきなり主人公が鳥になっていたらそりゃ驚きですよ。dream編ではわからなかった観鈴と晴子の思いが、鳥の視点を通してがんがんプレイヤーに入り込んでくるのは上手い。
観鈴と晴子が親子としてスタートする場面、中止になった夏祭り、観鈴の死、「そら」が晴子の励ましを受けて初めて空に飛び立つ場面など、いわゆる泣かせどころを各所に仕込んでくるのもさすがです。dream編で、それまで人形劇に関して全くうだつの上がらなかった往人が、観鈴を笑わせたいがために子供たちに教えを請う場面もかなり好き。

観鈴、晴子、往人は幸せだったのか

問題はこれです。いや、ゲームをやっていると本当にこの3人には幸せになってほしいと思うんですよ。「神奈は人間として転生する。でも翼人の記憶は人間の身体には耐えられない」と裏葉さんは言っていました。観鈴の死の原因はもちろんここにあるわけですが、それじゃあ往人のしようとしていたことって結局なんだったのか? 空の少女(=神奈)を救えるのは往人だけです。最終的に観鈴が幸せな「ゴール」を迎えることで、神奈の魂は救われたことになるんでしょうけれど、そのとき観鈴の側にいるのは往人ではなく晴子ですからねえ。長い目で見ればそんなことはないんですが(このあたりはED参照。飛べない晴子の代わりにひとり空に飛び立つ往人の心情は、それまで彼が観鈴の側にいながら何もできなかったことを考えると推し量りがたいものがあります)、往人が晴子編へのつなぎ役になってしまっているように見えるのはちょっと寂しい。
神奈が呪いから解放される代わりのようにして観鈴が死んでしまうのもどうかと。それまで往人の先祖(?)たちは何度も神奈の魂を救済しようとして、そのたびに失敗してきた歴史があるわけです。それと対比させるならば、観鈴はなんとしても人間としての生を全うすべきではなかったんじゃないでしょうか。それが「幸せになる」ことではないのでしょうか。
観鈴はこの夏休みで一生分の幸せを受け取ったようなことを言っているのですが、個人的におれは晴子の肩を持ちたい気持ちでいっぱいなんですよね。それこそ彼女の言うように、観鈴とお風呂入ったりチューしたり夏祭り行ったり、これからもずっと観鈴の笑顔を見ていたいと思うんです。もちろん夏休みという極めて短い期間で、観鈴も晴子も往人も一生分に値するような喜びや悲しみを享受するからこそ、この悲劇が成り立つというのはわかるんですが。
うーん、AIRはやっぱり悲劇に思えてしまいますね。なぜ往人は消え、観鈴は死に、晴子はひとり残されなければならなかったのかを考えるとやりきれないです。観鈴は空で往人に会えれば幸せなのかよ、と。そうじゃないでしょう。側に晴子がいて往人もいて「……が、がお」言って2人にぶたれている、そんな何でもない幸せな日常が一番よかったのに、それがもう戻ってこないなんて悲しすぎる。美凪シナリオで実現したように、すべてをわかりあった家族全員で食卓を囲んでいる光景を、妄想でも何でもいいから見たかったと思います、本当に。OPムービーで「さようなら」と出るあたりからすでにやばい予感はしていたんですが、やっぱりやばかった。

言い忘れましたが

ショートカットの観鈴ちんもロリロリで最高に可愛かったです。

裏葉さんの中の人は

井上喜久子でした。すげえ。何でもありですねこの方。