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火の鳥 鳳凰編

火の鳥 4 鳳凰編 (角川文庫)

火の鳥 4 鳳凰編 (角川文庫)

 

 

すこし前から『君たちはどう生きるか』が流行っています。これは件の漫画化された書籍から一連の流行を見せていますが、その本がアマゾンランキングに登場した時期から、狙いすましたかのように宮崎駿の同名タイトルの新作アニメーションが発表されるなど、どうにも広告会社が仕掛けた戦略の匂いがするので、ひねくれ者の自分なんかは、流行が落ち着いてからあとでこっそり読もうと思っているクチです。

 

ところで最近、手塚治虫火の鳥を再読しました。言うまでもなく、近い将来にブームの再燃が確実にやってくるだろう巨匠の大作です。

 

読んでいて考えたのが、鳳凰編のブチとは結局何者なのかということです。要所で登場してはまた消えるブチは、物語の中では特異なキャラクターです。

自分なりの解釈ですが、我旺にとって速魚がいたように、茜丸にとっての速魚がブチだったのではないでしょうか。速魚は我旺が助けたてんとう虫が化けた姿ですが、茜丸にも過去に似たような出来事があって、それの化身がブチなんじゃないかと。ブチが茜丸のことを死後に「にいさん」と呼んだこと、致命傷を負っても平然と再登場し、得体の知れない生命力を匂わせることが理由です。速魚も人間に化けるために「にいさん」という呼称を使っていました。

幼少時の体験から強い怒りと憎しみに駆られた我旺、彼に残っていた良心の具現化した姿が速魚でした。であれば、仏師としての名誉ある地位を極めた茜丸にも、最後の良心――言ってみれば奈良の大仏なんかクソくらえみたいな気持ち、政治や社会に翻弄されずに純粋に仏師としての技術的な頂点を目指す気持ちが残っていて、それがブチとなって現れたのだと思います。茜丸は死にますが、ブチが生き残ることで物語は救われている気もするのです。