カンブリア宮殿で興味を持ったので
共感することが多かったです。
読んでいてふと大学で受けたサイクリングの授業を思い出しました。その先生は、サイクリングを選択したほとんどの学生がボールが嫌いなので選択しただろうことを察しているんですねw それで、上手い下手ではなくて、大学の授業だけでなくて、生涯をとおしてスポーツを身近に好きになってほしいという意味のことを言っていました。実際自分を振り返っても、義務教育の体育なんかはだいたい成績が下の方なので、競技としてはやる気が出なかったものです。でも、学校が本来体育を受けさせるのは、順位というよりは一生スポーツに親しんでもらうことが目標のはず。そのことを大学に入って初めて教わる時点で、小中高の体育は何だったのかと驚いた記憶があります。
わかっている人に宿題をやらせても意味がないとか、カンブリア宮殿で語っていたこともありました。多くの人が経験したであろう漢字の書き取りなどについてです。
いわゆる教養科目についても言及がありました。いまは小学の英語に加えてプログラミング教育が始まるそうですが、一方で古典や漢文は残っていたり、実務重視なのか伝統的な教養重視なのか、素人目で見ても学習範囲が広すぎて現場は疲弊必至でしょう。自分も一応文学部のようなものなので、いわゆる教養科目を擁護したい気持ちもあるのですが、じゃあ古文漢文が現代社会で必要かというと、たぶん江戸時代からの伝統で惰性で教育課程に組み込んできた側面も否定できないように思えます。それで実用重視で英語を勉強していたら、先日みたいなグーグル先生に通訳機能が搭載されて、初心者レベルの英会話をそもそも勉強する必要があるのか疑問符がついたりするから、今の時代は本当に変化が大きくて大変です。誇張でなく、教育は百年の計だということを思い知らされます。
からの三連続おっぱい